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正史三国志の訓読もひっそりと開始。https //w.atwiki.jp/internetkyogakusys/pages/439.html 吉川三国志全巻 横山三国志全巻 正史三国志全巻(ちくま学芸文庫) 三國志年表(三国演義・吉川三国志・横山三国志対比) 三国演義第一回(原文) 吉川三国志 桃園の巻 168| 建寧1 1月 霊帝即位す。 9月 宦官の曹節ら、陳番・寶武を殺害。 169|建寧2 宮中に青蛇が出現。強風・雷・落雷などの異変がおこる。 171 建寧4_ 2月 洛陽で地震がおこり、沿海地方に大津波が発生。 175-嘉平4このころ劉備、盧植に師事。 178|光和1 雌鶏が雄となるなどの怪異現象があいつぐ。 180| 光和3 霊帝の後宮にいた何貴人が弁皇子を生み、皇后に立てられる。 181 光和4 王美人が協皇子(のちの献帝)を生む。 何皇后は王美人を毒殺。 184| 光和7_1月 張角が大賢良師を称して挙兵。黄巾の乱おこる。(横山三国志第一巻) 何皇后の兄の何進が乱鎮圧の総帥 として大将軍になる。 劉備・関羽・張飛、桃園で義兄弟の 契りを結ぶ。(横山三国志第一巻乞食部隊) 劉備率いる義勇軍、大興山・青州・ 広宗・頑川・鉄門峡を転戦。 劉備、張宝を討つ。 皇甫嵩・朱居ら、黄巾軍を討ち乱を鎮圧。( 横山三国志第二巻) 中平1 12月 黄巾の乱平定を記念して中平と改元。( 横山三国志第二巻終わり) 劉備、安喜県の警察署長となる。 張飛、督郵を鞭打ち、劉備ら逃亡。劉備、劉恢の邸で芙蓉姫と再会。 曹操、董卓殺害を失敗し逃亡する 吉川三国志 群青の巻 原文は三國演義(中文wikisource)(羅貫中)から引用しています。 訓読文(書き下し文)は、新譯演義三國志久保天随著(重要)や、いつか書きたい三国志の李卓吾本『三国演義』の書き下しを参考にさせていただいています。※いつ三の書き下し文は李本で、原文とは違います。 筆者は大学で中国語を習った程度で、文学は素人ですので誤訳は多分にあると思うのでご注意下さい。 関連ページ 漢文訓読で解読するまいにち中国語2020年 wiki 中文訓読・中国語訓読 ※参考~新譯演義三國志久保天随著(重要) 李卓吾本『三国演義』第1回-第4回の書き下し(いつか書きたい三国志)、三国志演義簡訳 第一回(原文) (訓読文) 話說ス天下大勢,分カレレ久シク必ズ合イ,合ヒテレ久シク必ズ分レル。周末七國分レテ爭イ,併-入サレリ二於秦ニ一。及ビ二秦滅之後ニ一,楚、漢分レ爭イ,又併-入ス二於漢ニ一。Huàshuō tiānxià dàshì, fēnjiǔbìhé, hé jiǔ bì fēn. Zhōumò qī guó fèn zhēng, bìng rù yú qín. Jí qín miè zhīhòu, chǔ, hàn fēn zhēng, yòu bìng rù yú hàn. (書き下し文) 話說ス天下大勢,久シク分カレ必ズ合イ,久シク合ヒテ必ズ分レル。周末七國分レテ爭イ,秦ニ併-入サレリ。秦滅之後ニ及ビ,楚、漢分レ爭イ,又漢ニ併-入ス。 (解説) 併入の入は漢辞海の通り、方向補語(趨向補語)として訳した。新訳演義三国志では、「併せられて秦に入り」と訳しており、翻訳としてはこちらが日本語として読みやすいが、訓読を優先するため補語として訓読した。 (訓読文) 漢朝自よリニ高祖一斬リ二白蛇ヲ一而起シレ義ヲ,一-統ス二天下ヲ一。後ニ-來タリニ光武中興一,傳ヘテ至リテ二獻帝ニ一,遂ニ分レ-為ス二三國ニ一。推スニ三其そノ致ルヲ二亂らん之由よしニ一,殆ほとんド始マル二於桓・靈ノ二帝ニ一。桓帝禁-錮シ二善類ヲ一,崇-信ス二宦官ヲ一。及ビ二桓帝崩ズルニ一,靈帝即位シ,大將軍竇武、太傅陳蕃,共ニ相輔佐ス。時有宦官曹節等弄シレ權ヲ,竇武、陳蕃謀ルモレ誅スルコトレ之ヲ,作事不ナラズレ密,反かえツテ為リレ所トレ害セラル,中涓自よリレ此これ愈いよいよ橫ス。Hàn cháo zì gāozǔ zhǎn báishé ér qǐyì, yītǒng tiānxià. Hòulái guāngwǔ zhōngxìng, chuán zhì xiàn dì, suì fēn wéi sānguó. Tuī qí zhì luàn zhī yóu, dài shǐ yú huán, líng èr dì. Huándì jìngù shàn lèi, chóng xìn huànguān. Jí huándì bēng, líng dì jíwèi, dà jiàng jūn dòu wǔ, tài fù chén fān, gòng xiāng fǔzuǒ. Shí yǒu huànguān cáo jié děng nòngquán, dòu wǔ, chén fān móu zhū zhī, zuò shì bù mì, fǎn wéi suǒ hài, zhōng juān zì cǐ yù héng. (書き下し文) 漢朝高祖自よリ白蛇ヲ斬リ義ヲ起シ,天下ヲ一統ス。後ニ光武中興來タリ,傳ヘテ獻帝ニ至リテ,遂ニ三國ニ分レ為ス。其そノ亂らん之由よしニ致ルヲ推スニ,殆ほとんド桓・靈ノ二帝ニ始マル。桓帝善類ヲ禁錮シ,宦官ヲ崇-信ス。桓帝崩ズルニ及ビ,靈帝即位シ,大將軍竇武、太傅陳蕃,共ニ相輔佐ス。時有宦官曹節等權ヲ弄シ,竇武、陳蕃之ヲ誅スルコト謀ルモ,作事密不ナラズ,反かえツテ害セラル所ト為レリ,中涓此これ自よリレ愈いよいよ橫ス。 (解説) 「自」は自らと訳すことも考えられるが、自より・・・至ル(自り・・・至る)として訳した 所 為A所B「AのBするところとなる」のAが抜けていると考えていいのだろうか。 つまりは為曹節所害と考えるとAは曹節であり、所害の害せられる所となった者は竇武、陳蕃である。 (訓読文) 建寧二年四月望日,帝御ス二溫德殿ニ一。方リ二陞座ニ一,殿角ニ狂風驟にわカニ起キ,只ただ見ル一條ノ大青蛇,從リ二梁上一飛ビ將まさニ下ニ來きタラントシ,蟠はばかル於椅いすノ上ニ。帝ハ驚キ倒レ,左右急-救スレ入リレ宮ニ,百官俱ニ奔避ス。須臾,蛇不見みえズ了。忽然大雷大雨シ,加以しかのみならず冰雹落チレ到リ二半夜ニ一方あたリレ止やムニ壞卻ス二房屋無數一。建寧四年二月,洛陽地震;又海水泛濫はんらんシ,沿海居民,盡ことごとク被かぶリ二大浪ヲ一捲キレ入ル二海中ニ一。光和元年,雌雞化かスレ雄おすト。六月朔,黑氣十餘丈,飛ビー入ル二溫德殿中ニ一。秋七月,有リレ虹現レ二於玉堂ニ一,五原山岸,盡ことごとク皆崩レ裂ク。種種不祥ニシテ,非あらズレ止ムニ二一端モ一。帝下ハ詔-問シ二群臣ニ以テ災異わざわい之の由ゆゑヲ一,議郎蔡邕ガ上疏スルニハ,以為おもえらく霓げい墮雞化シ,乃婦寺干政之所致,言頗切直。 (書き下し文) 建寧二年四月望日,帝溫德殿ニ御ス。陞座ニ方リ、殿角ニ狂風驟にわカニ起キ、只ただ見ル一條ノ大青蛇、梁上從リ飛ビ將まさニ下ニ來きタラントシ,椅いすノ上ニ蟠はばかル。帝ハ驚キ倒レ,左右宮ニ入リ急-救ス,百官俱ニ奔避ス。須臾,蛇不見みえズ了。忽然大雷大雨シ,加以しかのみならず冰雹半夜ニ到リ落チ止やムニ方あたリ房屋無數壞卻ス。六月朔,黑氣十餘丈,溫德殿中ニ飛ビ入ル。秋七月,虹有リ玉堂ニ於テ現レ,五原山岸,盡ことごとク皆崩レ裂ク。 種種不祥ニシテ,一端モ止ムニ非あらズ。帝下ハ群臣ニ以ッテ災異わざわいの由ゆゑヲ詔-問シ,議郎蔡邕ガ上疏スルニハ,以為おもえらく霓げい墮雞化シ,乃チ婦寺政之所干おかスニ致リ,言ハ頗すこぶル切直ナリ。 (解説) 下來は方向補語。 只ただ見ル一條ノ大青蛇の解釈は、「只ただ見」ただけで「帝は驚倒れ」たに繋がっているのか、ただ蛇が出てきただけなのかとも2つ解釈分かれる処だが、それほど意味はないと思いただ見ると訓読した。白蛇を切って天下を統一した漢王朝が、青蛇の出現によって壊れていくのか。 虹有現レ二於玉堂ニ 論語の最初の文章の「有朋自遠方来」が、「有リレ朋自よリ二遠方一来きたル」「有リレ朋下自ヨリ二遠方一来きたル上」のように複数の訓読が存在すると思うが、虹有リレ玉堂ニ於テ現レと訓読した。 蛇不見みえズ了 了は変化の了なんだろうか。漢文というより白話である。 以為おもえらく:~と思う、考える。(本文と関係ないが現代中国語の以為yiweiは~と思っていた(が、実際と違っていた場合に使う)) 霓:訓読み「にじ」音読み「ゲイ」~にじを竜とみなし、雄を「虹(コウ)」、雌を「霓」という。霓げい墮雞化シ メスがオスになってしまったという意味。 乃婦寺干政之所致:『乃ち婦寺「干政之所」に致るに』と訳すのか迷うが、干を動詞として「乃チ婦寺政之所干おかスニ致リ」と訳した。メスがオスになったりして、婦寺(女官)が政の所を侵す、つまり宦官のことを暗に指しているということか? 帝覽奏嘆息,因起更衣。曹節在後竊視,悉宣告左右,遂以他事陷邕於罪,放歸田里。後張讓、趙忠、封諝、段圭、曹節、侯覽、蹇碩、程曠、夏惲、郭勝十人朋比為奸,號為「十常侍」。帝尊信張讓,呼為「阿父」。朝政日非,以致天下人心思亂,盜賊蜂起。 帝は奏を覽て嘆息し,因りて起たちて衣を更かえる。曹節後うしろに在りて竊ひそかに視みて,悉ことごとく左右に宣告し,遂に他事を以って邕を罪に陷いれ,田里に歸り放つ。後に張讓、趙忠、封諝、段圭、曹節、侯覽、蹇碩、程曠、夏惲、郭勝の十人朋比は奸と為し,「十常侍」と號し為たり。帝は張讓を尊信し,「阿父」呼び為たり。朝政日に非に,以って天下人心亂を思うに致り,盜賊蜂起す。 時鉅鹿郡有兄弟三人:一名張角,一名張寶,一名張梁。那張角本是個不第秀才,因入山採藥,遇一老人,碧眼童顏,手執藜杖,喚角至一洞中,以天書三卷授之,曰:「此名太平要術。汝得之,當代天宣化,普救世人。若萌異心,必獲惡報。」角拜問姓名。老人曰:「吾乃南華老仙也。」言訖,化陣清風而去。角得此書,曉夜功習,能呼風喚雨,號為「太平道人」。中平元年正月內,疫氣流行,張角散施符水,為人治病,自稱「大賢良師」。角有徒弟五百餘人,雲游四方,皆能書符念咒。次後徒眾日多,角乃立三十六方,大方萬餘人,小方六七千,各立渠帥,稱為將軍;訛言:「蒼天已死,黃天當立;歲在甲子,天下大吉。」令人各以白土,書「甲子」二字於家中大門上。青、幽、徐、冀、荊、揚、兗、豫八州之人,家家侍奉大賢良師張角名字。角遣其黨馬元義,暗齎金帛,結交中涓封胥,以為內應。角與二弟商議曰:「至難得者,民心也。今民心已順,若不乘勢取天下,誠為可惜。」遂一面私造黃旗,約期舉事;一面使弟子唐周,持書報封諝。唐周乃徑赴省中告變。帝召大將軍何進調兵擒馬元義,斬之;次收封諝等一干人下獄。張角聞知事露,星夜舉兵,自稱「天公將軍」,張寶稱「地公將軍」,張梁稱「人公將軍」;申言於眾曰:「今漢運將終,大聖人出。汝等皆宜順天從正,以樂太平。」四方百姓,裹黃巾從張角反者四五十萬。賊勢浩大,官軍望風而靡。何進奏帝火速降詔,令各處備禦,討賊立功;一面遣中郎將盧植、皇甫嵩、朱雋,各引精兵,分三路討之。 時鉅鹿郡に兄弟三人有り:一名は張角,一名は張寶,一名は張梁なり。那かの張角 本もとより是これ個ひとりの「不第秀才」なるが,山に入り藥を採るに因りて,一老人に遇あい,碧眼童顏,手は藜杖に執り,角一洞中に至るまで喚わめけば,以って天書三卷之を授け,曰く:「此この名は太平要術なり。汝之を得て,當まさに天に代りて化を宣まひ,普あまねく世人を救え。若もしし異心を萌きざせば,必ず惡い報むくひを獲えむ。」角拜して姓名を問う。老人曰く:「吾は乃すなわち南華老仙也。」言訖きつにして,化陣清風にして去る。角此書を得て,曉夜功習し,能く風を呼び雨を喚よび,「太平道人」と號を為なす。中平元年正月の內,疫氣流行し,張角符水を散施し,人の為に病を治し,「大賢良師」と自稱す。角は徒弟五百餘人有り,四方に雲游し,皆能く符を書き咒を念ず。次後 徒眾衆日に多くなり,角乃ち三十六方に立ち,大方萬餘人,小方六七千,各々渠帥を立て,將軍と稱為たり;訛言し:「蒼天已に死す,黃天當まさに立つべし;歲は甲子に在り,天下大吉。」人各々をして白土を以って,「甲子」の二字を家中大門上に於いて書か令しめたり。青、幽、徐、冀、荊、揚、兗、豫八州之の人,家家に大賢良師張角の名字を侍り奉たてまつらん。角は其黨の馬元義を遣し,暗ひそかに金帛を齎し,中涓封胥と結交し,以為おもえらく內應す。角與と二弟商議して曰く:「至るに難得えがたき者は,民心也なり。今民心已すでに順したがい,若し勢に乘り天下を取ら不ざれば,誠に惜おしむ可べき為なり。」遂に一面黃旗を私造し,期を約し事を舉げ;一面に弟子をして唐周に使つかわしめ,書報を封諝に持す。唐周乃ち徑ただちに赴き省中に變を告ぐ。帝は大將軍何進をして兵を調へ召しめ馬元義を擒とらえ,之を斬る;次に封諝等一干人を下獄し收める。張角事の露を聞き知り,星夜舉兵し,「天公將軍」と自稱し,張寶は「地公將軍」と稱し,張梁は「人公將軍」と稱す;眾に申し言うに曰く:「今や漢運は將まさに終り,大聖人出ず。汝等なんじら皆宜すべからく天に順い正に從い,以って太平を樂め。」四方よも百姓,黃巾を裹まとい張角に從う反者は四五十萬たり。賊勢浩大にして,官軍風を望んで靡なびきければ、何進帝に奏し火速に詔降り,各處をして備禦令せしめ,賊を討ち功を立つ;一面に中郎將盧植、皇甫嵩、朱雋,遣しめ、各々精兵を引き,三路に分かれ之を討つ。 不第秀才:秀才だが次の試験に合格しなかった人のこと。 那張角本是個不第秀才:是が動詞なので、秀才に第せずとは訳せないはず。 念咒:呪文を唱える 咒は呪と同一字 眾:衆の繁体字 中涓封胥:中涓は宦官、封胥は十常侍の一人。賄賂を貰い謀反を結合しようとした 商議:相談するの意味。商談ではない。現代中国語の「商量」と同義 且說張角一軍,前犯幽州界分。幽州太守劉焉,乃江夏竟陵人氏,漢魯恭王之後也;當時聞得賊兵將至,召校尉鄒靖計議。靖曰:「賊兵眾,我兵寡,明公宜作速招軍應敵。」劉焉然其說,隨即出榜招募義兵。榜文行到涿縣,引出涿縣中一個英雄。那人不甚好讀書;性寬和,寡言語,喜怒不言於色;素有大志,專好結交天下豪傑;生得身長七尺五寸,兩耳垂肩,雙手過膝,目能自顧其耳,面如冠玉,唇如塗脂;中山靖王劉勝之後,漢景帝閣下玄孫:姓劉,名備,字玄德。昔劉勝之子劉貞,漢武時封涿鹿亭侯,後坐酌金失侯,因此遺這一支在涿縣。玄德祖劉雄,父劉弘。弘曾舉孝廉,亦嘗作吏,早喪。玄德孤幼,事母至孝;家貧,販屨織席為業。家住本縣樓桑村。其家之東南,有一大桑樹,高五丈餘,遙望之,童童如車蓋。相者云:「此家必出貴人。」玄德幼時,與鄉中小兒戲於樹下,曰:「我為天子,當乘此車蓋。」叔父劉元起奇其言,曰:「此兒非常人也!」因見玄德家貧,常資給之。年十五歲,母使游學,嘗師事鄭玄、盧植,與公孫瓚等為友。及劉焉發榜招軍時,玄德年已二十八歲矣。 且說さてまた張角の一軍は,前さきに幽州の界分を犯す。幽州太守の劉焉は,乃ち江夏竟陵人氏にして,漢魯恭王之の後也;當まさに時とき賊の兵將至らんと聞き得て,校尉鄒靖を召し計議す。靖曰く:「賊兵眾おおく,我が兵は寡すくなし,明公宜よろしく作なすべきは速やかに軍を招ねき敵に應ずべし。」劉焉は其說を然しかりとし,隨したがって即わち榜たてふだを出し義兵を招き募る。榜文たてふだ涿縣に行き到り,涿縣中に一個ひとりの英雄を引き出す。那かの人讀書は甚はなはだしくは好まず;性は寬和にして,言語は寡すくなく,喜怒色を言わず;素より大志有り,專ら好んで交を天下豪傑に結ぶ;生れ得 えて身長は七尺五寸,兩耳肩に垂れ,雙手りょうて膝に過ぎ,目は能く自ら其耳を顧かえりみるべく,面かおは冠玉の如く,唇は脂を塗が如し;中山靖王劉勝之の後,漢景帝閣下玄孫:姓は劉,名な備,字は玄德。昔劉勝之の子劉貞,漢武の時涿鹿亭侯に封ぜられしが,後に酌金を坐して侯を失ひ,此れに因って這この一支を遺し涿縣に在り。玄德の祖の劉雄,父は劉弘という。弘曾て孝廉を舉げ,亦嘗て吏を作すが,早くに喪うしなう。玄德幼くして孤となり,母に事へ孝至る;家貧しく,屨くつを販うり席むしろを織おるを業と為す。家は本縣樓桑村に住む。其の家之の東南に,一つの大桑樹有り,高さ五丈餘り,遙に之を望む,童童として車蓋の如し。相者えきしゃ云う:「此の家に必ず貴人出ず。」玄德幼き時,鄉中の小兒與と樹下に於いて戲れ,曰く:「我は天子と為り,當まさに此の車蓋に乘るべし。」叔父の劉元起は其言を奇して,曰く:「此の兒非常の人也なり!」因りて玄德の家の貧しさ見て,常に資を之に給う。年十五歲,母は游學使わし,嘗て師事した鄭玄、盧植,與公孫瓚等と友を為す。劉焉榜たてふだを發して軍を招ねく時に及びて,玄德の年は已に二十八歲なり矣。 當日見了榜文,慨然長嘆。隨後一人厲聲言曰:「大丈夫不與國家出力,何故長嘆?」玄德回視其人:身長八尺,豹頭環眼,燕頷虎鬚,聲若巨雷,勢如奔馬。玄德見他形貌異常,問其姓名。其人曰:「某姓張,名飛,字翼德。世居涿郡,頗有莊田,賣酒屠豬,專好結交天下豪傑。恰才見公看榜而嘆,故此相問。」玄德曰:「我本漢室宗親,姓劉,名備。今聞黃巾倡亂,有志欲破賊安民;恨力不能,故長嘆耳。」飛曰:「吾頗有資財,當招募鄉勇,與公同舉大事,如何?」玄德甚喜,遂與同入村店中飲酒。正飲間,見一大漢,推著一輛車子,到店門首歇了;入店坐下,便喚酒保:「快斟酒來吃,我待趕入城去投軍。」玄德看其人:身長九尺,髯長二尺;面如重棗,唇如塗脂;丹鳳眼,臥蠶眉:相貌堂堂,威風凜凜。玄德就邀他同坐,叩其姓名。其人曰:「吾姓關,名羽,字長生,後改雲長,河東解良人也。因本處勢豪,倚勢凌人,被吾殺了;逃難江湖,五六年矣。今聞此處招軍破賊,特來應募。」玄德遂以己志告之。雲長大喜。同到張飛莊上,共議大事。 當日榜文たてふだを見み了て,慨然して長嘆す。隨って後一人厲えやむ聲で言ひて曰く:「大丈夫は國家の與ために力を出さ不ず,何故長嘆しける?」玄德其人を回視す。:身長八尺,豹頭環眼,燕頷虎鬚,聲は巨雷の若く,奔馬の勢いの如し。玄德は他形貌異常を見て,其の姓名を問ふ。其の人曰く:「某それがしは姓は張,名は飛,字は翼德。世居は涿郡,頗すこぶる莊田有り,酒を賣り豬を屠し,專ら好んで交を天下豪傑に結ぶ。恰才ちょうど公が榜たてふだを看て而して嘆くを見て,故に此れ相に問う。」玄德曰く:「我は本より漢室の宗親なるが,姓は劉,名は備という。今黃巾の倡亂を聞て,賊を破りて民を安ずることを欲す志有るも;力不能あたわずを恨む,故に長嘆する耳のみ。」飛曰く:「吾は頗る資財有り,當まさに鄉勇招募し,公與と同じく大事を舉げむ,如何いかん?」玄德甚だ喜び,遂に與ともに同じく村店中に入り酒を飲む。正に飲む間に,一大漢を見て,一輛の車子を推し著ながら,店門首に到り歇了やすみ;入店し坐下すわり,便ち酒保を喚よぶ:「快はやく酒を斟くみ吃くいものを來もってこい,我は城に趕おい入いり軍を投じに去ゆくのを待つ。」玄德は其の人を看て:身長は九尺,髯長は二尺;面かおは重棗如く,唇脂を塗るが如く;丹鳳の眼,臥蠶の眉:相貌は堂堂,威風は凜凜。玄德は就すぐに他を邀むかえ坐を同じくし,其の姓名を叩たたく。其の人曰:「吾の姓は關,名は羽,字は長生,後に雲長に改める,河東解良人也なり。本處の勢豪,倚勢にして人を凌するに因りて,吾に被殺ころされ了た;江湖に難を逃れ,五六年なり矣。今此處ここに軍を招き賊を破るを聞きて,應募しに特に來たり。」玄德は遂に己の志を以て之に告ぐ。雲長大いに喜ぶ。同じく張飛は莊上到り,大事を共に議す。 恰才:(白話)ちょうど 剛才と同じ 推著:この著は持続を表す著。現代中国語の「着」と同じ。漢文では「チャク」と音読みしているが、現代人には分かりにくい。 斟酒:酒を酌む 我待趕入城去投軍:我+待(動詞)+目的語 で我は(目的語を)待つ。 その目的語が趕入城去投軍なので、趕入城して去投軍するという手段+目的の連動文となっている。むりやり訓読すると、城に趕おい入いり軍を投じに去ゆくとなる(と思う・・・中国語そこまで得意ではないが) 叩:漢字海P228 質問する。我叩其両端 私はその質問を隅々まで問いただす 飛曰:「吾莊後有一桃園,花開正盛;明日當於園中祭告天地,我三人結為兄弟,協力同心,然後可圖大事。」玄德、雲長齊聲應曰:「如此甚好。」次日,於桃園中,備下烏牛白馬祭禮等項,三人焚香再拜而說誓曰:「念劉備、關羽、張飛,雖然異姓,既結為兄弟,則同心協力,救困扶危;上報國家,下安黎庶;不求同年同月同日生,只願同年同月同日死。皇天后土,實鑒此心。背義忘恩,天人共戮!」誓畢,拜玄德為兄,關羽次之,張飛為弟。祭罷天地,復宰牛設酒,聚鄉中勇士,得三百餘人,就桃園中痛飲一醉。來日收拾軍器,但恨無馬匹可乘。 飛曰く:「吾の莊やしきの後ろに一つ桃園有り花開き正に盛らん。明日當まさに園中に於て祭り天地に告ぐべし。我三人兄弟の結びを為し,協力心を同じくし,然しかる後のち大事を圖はかる可べし。」玄德、雲長齊そろいて聲こえを應じて曰く:「此かくの如くは甚はなはだだ好よし。」次の日,桃園中に於て,烏牛うぎゅう白馬はくば等、祭禮の項を備下し,三人香を焚き再拜而して說誓し曰く「念ずるは劉備、關羽、張飛,然しかして異姓と雖ども,既に兄弟の結びを為し,則ち同心協力し,困くるしみを救い危きを扶たすけん;上は國家報い,下は黎庶を安ず;同年同月同日生れるを不求もとめず,只ただ願ねがうは同年同月同日に死せん。皇天后土,此の心を實鑒し、義に背そむき恩を忘れれば,天人共戮せん!」誓ちかい畢おえて,拜みて玄德を兄と為し,關羽を之の次とし,張飛を弟と為す。天地祭るを罷やめ,復た牛を宰し酒を設け,鄉さとの中から勇士を聚あつめ,三百餘人を得えて,桃園の中に就ついて一醉を痛飲す。來日軍器を收拾し,但ただ恨むは乘る可べく馬匹無し。 說誓 発誓 黎庶 平民大衆 備下:用意する、準備する 天人共戮:久保点隨訳は「天人共に之を誅戮すべし」としている。原文は戮を自動詞で使用しているのが分かりにくい 罷:やめる・つかれる・まかる 就:場所+ついて 久保天隨訳は「桃園の中に就いて」をそのまま引用。 最初は勇士を集めたあとのことを述べているので現代中国語の就(すぐに)の方が文意に合っていると思い訳したが場所を示しているので。 正思慮間,人報有兩個客人,引一夥伴儅,趕一群馬,投莊上來。玄德曰:「此天佑我也!」三人出莊迎接。原來二客乃中山大商:一名張世平,一名蘇雙,每年往北販馬,近因寇發而回。玄德請二人到莊,置酒管待,訴說欲討賊安民之意。二客大喜,願將良馬五十匹相送;又贈金銀五百兩,鑌鐵一千斤,以資器用。玄德謝別二客,便命良匠打造雙股劍。雲長造青龍偃月刀,又名「冷艷鋸」,重八十二斤。張飛造丈八點鋼矛。各置全身鎧甲。共聚鄉勇五百餘人,來見鄒靖。鄒靖引見太守劉焉。三人參見畢,各通姓名。玄德說起宗派,劉焉大喜,遂認玄德為侄。 正に思慮する間,人報しらせるには兩個ふたりの客人有り,一夥ひとむれの伴儅ともびとを引きつれ,一群の馬を趕ひかせて,投じて莊やしきに上來す。玄德曰く:「此れ天我を佑たすくる也なり!」三人莊やしきを出て迎接す。原來二客は乃ち中山の大商にて:一名は張世平,一名は蘇雙そそう,每年北に往き馬を販うるが,近ごろ因りて寇發し而しかて回かえる。玄德二人莊やしきに到るを請い,置酒管待し,賊討たんと欲し、民を安んず之の意を訴說す。二客大いに喜び,願うは將まさに良馬五十匹を相い送る;又金銀五百兩を贈り,鑌鐵ひんてつ一千斤,器用以って資すべし。玄德謝して二客と別れ,便ち良匠命じて雙股劍を打造す。雲長は青龍偃月刀を造り,又の名を「冷艷鋸」という,重さ八十二斤なり。張飛は丈八の點鋼矛を造る。各置全身鎧甲す。鄉勇五百餘人を共に聚あつめ,鄒靖に來見る。鄒靖は太守劉焉に引見る。三人參見し畢おわり,各おのおの姓名を通ず。玄德は宗派を說起し,劉焉大いに喜び,遂に玄德を侄おいと為すを認める。 兩個:個は個数を数える量詞 上來:来る 不數日,人報黃巾賊將程遠志統兵五萬來犯涿郡。劉焉令鄒靖引玄德等三人,統兵五百,前去破敵。玄德等欣然領軍前進,直至大興山下,與賊相見。賊眾皆披髮,以黃巾抹額。當下兩軍相對,玄德出馬,左有雲長,右有翼德,揚鞭大罵:「反國逆賊,何不早降!」程遠志大怒,遣副將鄧茂出戰。張飛挺丈八蛇矛直出,手起處,刺中鄧茂心窩,翻身落馬。程遠志見折了鄧茂,拍馬舞刀,直取張飛。雲長舞動大刀,縱馬飛迎。程遠志見了,早吃一驚,措手不及,被雲長刀起處,揮為兩段。後人有詩讚二人曰: 英雄露穎在今朝,一試矛兮一試刀。 初出便將威力展,三分好把姓名標。 數日せ不ず,人報しらせるには黃巾賊の將程遠志は兵五萬を統べ涿郡に來て犯す。劉焉は鄒靖をして玄德等三人を引かせ令しめ,兵五百を統べ,前さきに去き敵を破す。玄德等欣然として軍を領して前進し,直ちに大興山の下もとに至り,賊與と相い見る。賊眾しゅう皆みな髮を披ひらき,黃巾を以って抹額す。當下兩軍相對し,玄德出馬し,左に有るは雲長,右に有るは翼德,揚げて鞭うち大いに罵しる:「反國の逆賊,何ぞ早く降ら不ざらんや!」程遠志は大いに怒り,副將鄧茂をして戰に出で遣わしめる。張飛は挺丈八の蛇矛を直ちに出で,手を起す處ところ,鄧茂の心窩に刺し中あたり,身を翻がえし落馬す。程遠志は鄧茂の折了れるを見て,馬を拍うち刀を舞わして,直に張飛を取る。雲長は大刀舞わし動かし,馬を縱はなって飛を迎う。程遠志は見了みて,早吃一おおいに驚き,手を措くに不及およばず,雲長に刀を起處せられ,揮ふるう為に兩段ふたぎたにされる。後人の詩有り、二人讚して曰く: 英雄の穎ほさきを露すは今朝に在り,一ひとりは矛を試し(兮)一は刀を試す。 初めて出で便ち將まさに威力を展のべ,三分のくにに好あっぱれ把とりて姓名を標かかげたり。 披 抹額 當下:その時、または直ちに 早吃一驚:おおいに驚き 被雲長刀起處:訳出がうまくいかない。。 漢辞海P1271 句法2 受動を前置詞として動作や行為をする動作主の前に置き、前置詞を形成する。これは助動詞の被が、西晋ごろから前置詞に転化したものである。 主語+被二+動作主+動詞一 (主語(ハ)動作主ニ動詞セラル) 亮子ノ被ル二蘇峻ニ害セ一 主語は程遠志なので、「程遠志被雲長刀起處」とすると、「程遠志は雲長に刀を起おこされる處となる」とでも訳せるのか? とりあえず「程遠志は雲長に刀を起處せられ」と仮訳 眾賊見程遠志被斬,皆倒戈而走。玄德揮軍追趕,投降者不計其數,大勝而回。劉焉親自迎接,賞勞軍士。次日,接得青州太守龔景牒文,言黃巾賊圍城將陷,乞賜救援。劉焉與玄德商議。玄德曰:「備願往救之。」劉焉令鄒靖將兵五千,同玄德、關、張,投青州來。賊眾見救兵至,分兵混戰。玄德兵寡不勝,退三十里下寨。玄德謂關、張曰:「賊眾我寡;必出奇兵,方可取勝。」乃分關公引一千軍伏山左,張飛引一千軍伏山右,鳴金為號,齊出接應。次日,玄德與鄒靖引軍鼓噪而進。賊眾迎戰,玄德引軍便退。賊眾乘勢追趕,方過山嶺,玄德軍中一齊鳴金,左右兩軍齊出,玄德麾軍回身復殺。三路夾攻,賊眾大潰。直趕至青州城下,太守龔景亦率民兵出城助戰。賊勢大敗,剿戮極多,遂解青州之圍。後人有詩讚玄德曰: 運籌決算有神功,二虎還須遜一龍。 初出便能垂偉績,自應分鼎在孤窮。 眾賊程遠志の被斬きらるを見て,皆戈を倒し而して走る。玄德は軍を揮はらい追趕し,投降者は其數を不計はかれず,大勝而して回かえる。劉焉は親しみ自ら迎接し,軍士を賞勞す。次日,青州太守龔景牒文 に接し得て,言うには黃巾賊は城を圍かこみ將まさに陷おちんとす,救援を乞い賜う。劉焉與と玄德は商議す。玄德曰く:「備は之を往きて救うことを願う。」劉焉は鄒靖をして將兵五千,同玄德、關、張,青州投じて來こさ令しめり。賊眾兵を救うを見るに至り,兵分けて混戰す。玄德兵寡すくなくして不勝かたず,三十里退き寨とりで下る。玄德關に謂う、張曰く:「賊は眾おおく我は寡すくなし;必ず奇兵に出で,方まさに勝を可取とるべし。」乃ち關公を分け一千軍を引き山左りに伏し,張飛は一千軍を引き山右に伏し,金を鳴し號を為し,齊ひとしく出で接應す。次日,玄德與と鄒靖は軍を引き鼓噪して而進む。賊眾戰いで迎へ、玄德は軍を引き便ち退く。賊眾は勢に乘り追趕おいかけ,方まさに山を過ぎて嶺で,玄德軍中は一齊に金を鳴らし,左右兩軍齊ひとしく出で,玄德は軍を麾さしまねき身を回し復た殺す。三路夾はさみ攻め,賊眾は大い潰れる。直ちに趕おい青州城下に至り,太守龔景も亦た民兵率い出城し戰を助ける。賊勢大敗し,剿戮極めて多く,遂に青州之圍を解く。後人玄德讚える詩有り 曰く: 籌はかりごとを運めぐらし算を決して神功あれども,二虎はなお還いまだ一龍には遜おとれり。 初めて出でしばかりに能く偉おおいなる績いさおしを垂たれりは,鼎かえでのあしのかたちとなる分さだめの孤窮わがみに在あればなる應べし。 鼓噪 龔景犒軍畢,鄒靖欲回。玄德曰:「近聞中郎將盧植與賊首張角戰於廣宗,備昔曾師事盧植,欲往助之。」於是鄒靖引軍自回,玄德與關、張引本部五百人投廣宗來。至盧植軍中,入帳施禮,具道來意。盧植大喜,留在帳前聽調。 龔景が軍を犒ねぎらい畢おえ,鄒靖は回かえることを欲す。玄德曰く:「近ごろ聞くに中郎將盧植與と賊首張角は廣宗に於て戰う,備は昔曾かつて盧植に師事す,往くこと欲し之を助けむ。」於是ここにおいて鄒靖軍を引き自ら回かえり,玄德與と關は、張本部五百人を引つれ投じて廣宗に來たり。盧植軍中に至り,帳に入り禮を施し,來意を具道す。盧植大いに喜び,帳前に留とどめて聽調させた。 時張角賊眾十五萬,植兵五萬,相拒於廣宗,未見勝負。植謂玄德曰:「我今圍賊在此,賊弟張梁、張寶在潁川,與皇甫嵩、朱雋對壘。汝可引本部人馬,我更助汝一千官軍,前去潁川打探消息,約期剿捕。」玄德領命,引軍星夜投潁川來。時皇甫嵩、朱儁領軍拒賊,賊戰不利,退入長社,依草結營。嵩與儁計曰:「賊依草結營,當用火攻之。」遂令軍士,每人束草一把,暗地埋伏。其夜大風忽起。二更以後,一齊縱火,嵩與儁各引兵攻擊賊寨,火焰張天,賊眾驚慌,馬不及鞍,人不及甲,四散奔走。 時張角の賊眾は十五萬,植兵は五萬,廣宗に於て相拒み,未だ勝負を見ず。植は玄德に謂いて曰く:「我は今此ここに在りて賊を圍かこみ,賊弟の張梁、張寶は潁川に在り,皇甫嵩與と、朱雋は壘で對す。汝は本部の人馬を引く可べし,我は更に汝の一千官軍を助け,前さきに潁川を去き消息を打探り,約期剿捕。」玄德は領命し,星夜に軍を引き潁川に投じ來たる。時皇甫嵩、朱儁領軍賊を拒み,賊戰は不利となり,長社に退入し,草に依り營を結す。嵩與と儁計曰く:「賊は草に依り營を結す,當まさに火を用ひ之を攻むべし。」遂に軍士をして,人每ごとに草一把を束ね,暗地に埋伏令せしめる。其夜大風忽たちまち起こる。二更以後,一齊に火を縱はなち,嵩與と儁各おのおの兵を引き賊寨を攻擊し,火焰天に張り,賊眾は驚き慌て,馬鞍に及およば不ず,人甲に及およば不ず,四散奔走す。 天明に殺到し,張梁、張寶は敗殘軍士を引き,奪路し而走る。忽ち一彪の軍馬を見て,盡く紅旗を打ち,當まさに頭に來て到り,截住路を去る。為首閃出一將:身長は七尺,細眼長髯;官拜は騎都尉;沛國譙郡人也なり,姓は曹,名は操,字は孟德。操の父は曹嵩,本姓は夏侯氏;中常侍曹騰之の養子為ために因りて,故ゆえに冒姓は曹という。曹嵩は操を生み,小字は阿瞞,一またの名なを吉利という。操は幼い時,游獵を好み,歌舞を喜ぶ;權謀有り,機變多し。 截住:訳が分からん? 因為~故:現代中国語の因為~所以と同じなのだろうか?因為は原因を表し、所以はその結果を表す。 操は叔父有り,操の游蕩度無くを見て,嘗て之を怒り,曹嵩に於て言う。嵩は操を責む。操は忽ち心に一計を生む:叔父を來るを見て,詐りて地に於て倒れ,中風之の狀を作す。叔父は驚いて嵩に告ぐ,嵩は急いで之を視て,操は故に恙つつが無し。嵩曰く:「叔言う汝は中風,今已すでに愈乎?」操曰く:「兒は自來此の病い無し;叔父失愛に因よりて,故に見て罔あざむく耳のみ。」嵩は其言を信ず。後に叔父但言を操過ぎ,嵩は並不聽きかず。因此これによって,操は恣意しい放蕩を得る。時人有橋玄者,謂いて操曰く:「天下將まさに亂る,非命世之才濟なす能あたわ不ず。能く安之者,其れ君在るや乎?」南陽何颙 操を見て,言う:「漢室將まさに亡ぶ,安ぞ天下者は,必ず此の人也。」汝南の許劭,有知人之名。操往きて之を見て,問いて曰く:「我は何如いかなる人か?」劭不答こたえず。又問いて,劭曰く:「子は治世之の能臣,亂世之の奸雄也。」操は言を聞き大いに喜ぶ。年は二十,孝廉に舉げられ,郎と為る,洛陽北都尉に除され。初めて任に到り,即すぐに縣之四門に於て五色棒十餘條を設け,犯禁者有り,富豪避けず,皆之を責む。中常侍の蹇碩之の叔,刀を提げ夜行し,操巡夜し拿住たいほし,就すぐに棒で之を責む。由是このゆえ,內外に敢えて犯者莫く,威名は頗すこぶる震える。後に頓丘令と為り。黃巾起こるに因りて,騎都尉拜すと為り,引馬步軍五千を,前さきに來て潁川で戰い助く。正值まさに張梁、張寶敗走し,曹操攔住,大殺一陣し,斬首萬餘級あり,旗旌奪い得て、金鼓、馬匹極て多し。張梁、張寶死戰得えて脫する。操見て皇甫嵩、朱儁,随いて即すぐに兵引き張梁、張寶追襲して去き了おえた。 操見過:過は過去形? 卻說玄德引關、張來潁川,聽得喊殺之聲,又望見火光燭天,急引兵來時,賊已敗散。玄德見皇甫嵩、朱儁,具道盧植之意。嵩曰:「張梁、張寶勢窮力乏,必投廣宗去依張角。玄德可即星夜往助。」玄德領命,遂引兵復回。到得半路,只見一簇軍馬,護送一輛檻車;車中之囚,乃盧植也。玄德大驚,滾鞍下馬,問其緣故。植曰:「我圍張角,將次可破;因角用妖術,未能即勝。朝廷差黃門左豐前來體探,問我索取賄賂。我答曰:『軍糧尚缺,安有餘錢奉承天使?』左豐挾恨,回奏朝廷,說我高壘不戰,惰慢軍心;因此朝廷震怒,遣中郎將董卓來代將我兵,取我回京問罪。」張飛聽罷,大怒,要斬護送軍人,以救盧植。玄德急止之曰:「朝廷自有公論,汝豈可造次?」軍士簇擁盧植去了。 卻說さてまた玄德關、張を引き潁川に來て,喊殺之聲を聽き得て,又た火光燭天を望み見て,急いで兵を引きいて時を來たり,賊は已すでに敗散す。玄德皇甫嵩を見て、朱儁,盧植之意を具道す。嵩曰く:「張梁、張寶勢窮り力乏しく,必ず廣宗に投じて張角依りて去く。玄德即すぐに星夜に往きて助く可べし。」玄德領命し,遂に兵を引きいて復また回かえる。半路に到り得て,只見るは一簇ひとむれの軍馬,一輛の檻車を護送す;車中之の囚,乃ち盧植也。玄德は大いに驚き,滾鞍下馬し,其その緣故を問う。植曰く:「我は張角を圍かこみ,將まさに次つぎ破す可べし;角の妖術用いるに因りて,未だ即勝つに能わず。朝廷は黃門左豐を差しだし前さきに來たりて體を探し,我に賄賂を索取を問う。我は答えて曰く:『軍糧は尚なお缺かく,安ぞ天使に奉承する餘錢有るや?』左豐挾は恨み,朝廷に回かえり奏そうずるは,我は高壘にて不戰たたかわずと說とく,惰慢軍心す;因此これによりて朝廷は震怒し,中郎將董卓を遣し來て我兵を代將す,我を取りて京に回かえし罪問う。」張飛聽きき罷やめ,大いに怒り,要もとむは護送軍人を斬し,以て盧植を救う。玄德は急いで之を止めて曰く:「朝廷は自有公論あり,汝は豈あに造次す可し?」軍士の簇むれ盧植を擁し去了さった。 滾鞍 要斬護送軍人 關公曰:「盧中郎已被逮,別人領兵,我等去無所依,不如且回涿郡。」玄德從其言,遂引軍北行。行無二日,忽聞山後喊聲大震。玄德引關、張縱馬上高岡望之,見漢軍大敗,後面漫山塞野,黃巾蓋地而來,旗上大書「天公將軍」。玄德曰:「此張角也!可速戰。」三人飛馬引軍而出。張角正殺敗董卓,乘勢趕來,忽遇三人衝殺,角軍大亂,敗走五十餘里。三人救了董卓回寨。卓問三人現居何職。玄德曰:「白身。」卓甚輕之,不為禮。玄德出,張飛大怒曰:「我等親赴血戰,救了這廝,他卻如此無禮!若不殺他,難消我氣!」便要提刀入帳來殺董卓。正是: 人情勢利古猶今,誰識英雄是白身? 安得快人如翼德,盡誅世上負心人! 畢竟董卓性命如何,且聽下文分解。‐ 關公曰く:「盧中郎已すでに被逮つかまり,別人が領兵し,我等は去く所無くに依りて,且つ涿郡に回るに不如しかず。」玄德は其言從い,遂に軍引き北へ行く。行くに無くは二日,忽ち聞山の後ろから喊ときの聲が大いに震える。玄德は關、張引き、縱馬し高岡に上り之を望む,漢軍大敗を見,後面は漫山が野に塞ぎ,黃巾の蓋地而に來て,旗上に大いに書くは「天公將軍」。玄德曰く:「此れ張角也!速に戰う可べし。」三人飛馬引軍し而出ず。張角は正に董卓を殺敗す,乘勢は趕來し,忽ち遇三人衝殺,角軍は大亂し,敗走するは五十餘里。三人は董卓を救了い寨に回る。卓は三人の現居何職問う。玄德曰く:「白身。」卓は甚だ之を輕じ,禮を不為なさず。玄德は出で,張飛は大いに怒りて曰く:「我等は親しく赴き血戰す,救了って這廝このよう,他かれは卻さる如く此この無禮!若し他を不殺ころさざるは,我氣が難消す!」便ち提刀を帳に入り來りて董卓を殺すを要もとむ。正に是れ: 人情勢利せいり古いにしえ猶なお今いまのごとし,誰が識しる英雄是これ白身? 安いかでか快人が如く翼德得て,盡く世上負心の人を誅せん! 畢竟ひっきょう董卓の性命は如何いかん,且つ聽くは下文に解き分けり。‐ 要提刀入帳來殺董卓 第二回 且說さてまた董卓字は仲穎,隴西臨洮の人也なり。 官を河東太守拜すが,自來より驕傲なり。當日玄德に怠慢了し,張飛性を發し,便ただちに之を殺さんと欲す。玄德與と關公急いで之を止めて曰く:「他は是これ朝廷の命官なり,豈に擅殺可きか?」飛曰く:「若し這廝こやつを殺不ざれば,反って要在他の部下令を聽き,其の實は甘くない!二兄は便ち此ここに在り住むを要す,我は自投なげ別れて處ここを去さる也なり!」玄德曰く:「我三人は義と生死同じくして,豈に相離れる可べからんや?便すぐに都みな投げ別れ處ここを去さるに若かざる。」 飛曰く:「若し如此かくのごとくば、,稍ようやく吾れの恨み解く。」 於是三人連夜引軍來投朱儁。儁待之甚厚,合兵一處,進討張寶。是時曹操自跟皇甫嵩討張梁,大戰於曲陽。這裏朱儁進攻張寶。張寶引賊眾八九萬,屯於山後。儁令玄德為其先鋒,與賊對敵。張寶遣副將高昇出馬搦戰。玄德使張飛擊之。 於是ここにおいて三人は連夜軍を引きつれ朱儁に來投す。儁は之を甚だ厚く待かんたいし,兵を一處に合せ,張寶を進み討つ。是時このとき曹操は自跟皇甫嵩と張梁を討ち,曲陽に於て大戰す。這この裏うら朱儁は張寶に進攻す。張寶は賊眾八九萬を引きいて,山後に於て屯す。儁は玄德をして其その先鋒を為さ令しめ,賊與と對敵す。張寶は副將の高昇をして出馬せしめ搦戰す。玄德は使張飛をして之を擊つ。 飛縱馬挺矛,與昇交戰,不數合,刺昇落馬。玄德麾軍直衝過去。張寶就馬上披髮仗劍,作起妖法。只見風雷大作,一股黑氣,從天而降:黑氣中似有無限人馬殺來。飛は馬を縱にし矛を挺し,昇與と交戰す,數合せ不ず,昇を刺し落馬す。玄德は軍を麾(さしまね)き直ちに衝し過ぎ去ゆく。 張寶はすぐに披髮仗劍,妖法を作し起す。 就馬上:すぐに中国語(白話)で訳した 只見るは風雷大いに作し,一股の黑氣と,天に従い而して降る: 黑氣中似有無限人馬殺來。 玄德は連忙して軍を回かえし,軍中は大いに亂れ,敗陣而して歸り,朱儁と計議す。儁曰く:「彼は妖術を用いる、我は來日あくるひ豬(いのしし)羊狗の血を宰すべし,令軍士をして山頭に伏して;候賊趕おい來こし,從高坡上潑之,其の法を可解とくべし。」玄德令を聽き、關公に撥し、張飛各軍一千を引き、山の後の高岡之の上に伏し豬いのしし羊ひつじ狗いぬの血ちを盛り並びに穢物を準備す。次の日,張寶は旗を搖らし鼓,引軍して搦戰す,玄德は出迎えり。交鋒之の際,張寶は作法するは,風雷大いに作し,砂は飛び石走り,黑氣は漫天,滾滾と人馬,天自より而下る。 玄德は馬を撥して便すぐに走にげ,張寶は兵を驅かけ趕おい來り。將まさに山頭過ぎ,關、張は軍を伏して號砲を放し起こし,將まさにに穢物を齊潑す。但ただ見るは空中より紙の人、草の馬,紛紛として地に墜ち;風雷頓して息やみ,砂石も飛ば不ず。 張寶は法を見て解き了おえ,急に軍を退くことを欲す。左は關公,右は張飛,兩軍都みな出で,背後に玄德、朱儁は一齊に趕おい上げ,賊兵は大敗す。玄德は地公將軍旗號を望み見て,飛馬趕おい來て,張寶は落ち荒れて而走る。玄德は箭やを發し,其の左臂に中あたる。
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Q 問題文 → エフェクト A 回答 Q → A Q → A Q → A Q → A Q → A Q → A Q → A Q → A Q → A Q → A Q → A Q → A Q → A Q → A Q → A Q → A Q → A Q → A Q → A Q → A Q → A Q → A Q → A Q → A
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水鏡先生(すいきょうせんせい) 水鏡先生とは、名高い司馬徽徳操のこと。 襄陽の名士龐徳公に師事し、水鏡の号を与えられた。 高名な龐統の才能を見出し徐庶や向朗などを門下生とした。また、軍師を求めていた劉備に対して「臥龍・鳳雛は諸葛亮と龐統のことだ」と教えたといわれる。 水鏡村の村長で、三国志オンラインに降り立ったプレイヤーに対して最初のクエスト(依頼)を出してくる。 「よいぞよいぞ」が口癖。
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Q A - - - Q A - - - Q A - - - Q A - - - Q A - - - Q A - - - Q A - - - Q A - - - Q A - - -
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武田軍 武田信玄 真田幸隆 真田昌幸 真田信之 真田幸村 上杉軍 上杉謙信 上杉景勝 直江兼続 上杉景虎 前田慶次 北条軍 北条氏康 北条氏政 北条氏邦 甲斐姫 風魔小太郎
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[部分編集] +チラシの裏 チラシの裏 本項が「オリジナル武将作成について」の最後の項目になりますが、 ここまでご覧になるとは、きっと貴方は三国志の世界と「俺とお前らと三国志11」がとても大好きなのでしょう。 『もし呂布があそこで処刑されなかったら…』 『もし龐統があの場面で死ななかったら…』 『もし関索が天下無双の働きをしていたら…』 三国志の世界には、いくつもの『もしも』があります。そしてそれを考えれば考えるほど、さらなる三国志の世界が広がっていくのだと思います。 『もしこんな武将がいたら…』 それを考え、実際にオリジナル武将をゲームに登場させたとき、 貴方はその武将を通じて、1800年前の古代中国、三国志の世界に思いを馳せるのでしょう。 このような機会を与えてくれたKoeiの「三国志11」というゲームと「俺とお前らと三国志11」が、私はとても大好きです。 これからも頑張ってね。うp主殿。 いち三国志ファンより。 +とある投稿者の武将作成記 とある投稿者の武将作成記、士邦の場合 あの日、私は酔っ払っていた。そして、酔った勢いで、武将を投稿する事に決めたのだ。 まず、思ったのは「俺に似た武将を投稿してやろう」という事だった。 私は学生時代、スキンヘッドでフェンダーのベースをかき鳴らしていた。= 顔グラ決まり! 私は腕力は人並み以下であるが、見た目の柄の悪さと、眼力(めぢから)と、口先で部下をまとめて仕事をしている。 誰にも文句は言わせない。弱いけど。それに相応しい特技は??? = 「言毒」でしょう 魅力は自由につけられても、君主より高いのには違和感を感じる = 魅力は涼真より低くしよう = 酔っ払ってて1話を見誤り、魅力70(涼真-1を狙ったつもりだけど) 言毒持ちだけど、知力No1は面白くない。誰か真実の理解者がいてもいい = 張芳にしよう = 酔っ払ってて1話を見誤り、知力77(張芳-1を狙ったつもりだけど) 実はすごく弱いので、武力は最下限にしよう = 武力30に決定 元、水商売の人間です。893は政治力も大事なんです。兄貴なら統率力も必要です = 240-77-30=133 133/2=66.5 統率と政治力どちらにウェイトを置くか。兄貴だったら、対外的なやりとりが必要だ。でもどちらも重要 = 統率65 政治68 名前どうしよう、、、 = そもそも侠客は本名名乗らないから、「邦(アニキ)」でいいや。 姓どうしよう = 「○○し」という名前なので、「し」を姓にしよう。「士」か「史」か。「士」のほうが、なんか好き。 そんな感じで士邦完成。動画で登場するたび、酔っ払いながらニヤニヤ。 うp主ありがとう。 結論を言うと、好きなよう"楽しみながら"に作ればいいと思う。 +とある投稿者の武将作成記 とある投稿者の武将作成記、姫戈の場合 あの日、私は酔っ払っていた。そして、酔った勢いで、武将を投稿する事に決めたのだ。 まず、思ったのは「うp主が使いにくい武将を投稿してやろう」という事だった。 私は三国志11をやる時は、史実武将以外は使わない。 新武将で、槍神やら闘神やらを作って、螺旋突を連発してればまず負けないもん。面白くない。 自分でプレイしてて、使えない割に好きな特技が「親○」や「威圧」だった。 その特技がついてる武将も好きな武将が多い。今、涼真軍は涼州に手を伸ばそうとしている。 = 特技「親羌」 そういえば、安定で出現するくせに、長安に攻め込んでくる馬鹿な羌武将がいるな。 そうだ!あの部族の族長とか、その後継者にしてしまえ! = 設定できた 知力・政治が低くするのがケテーイ 知力38、政治43に決めた。魅力は涼真-2としよう = 魅力73 若き日の馬超を半殺しにした閻行の武力が84だった = 武力83にしとこう 基準値240-武力83-知力38-政治43=76 = 240ぴったり使うといやらしいので、-1して75にしよう = 統率75 羌族の姓ってどんなんだったけ? = 太公望は実は姫姓で羌族出身だった = 姓決定 名前どうしよう = 演義に登場する俄何焼戈から拝借。 中国風の発音を考慮してないよ、、、 = もう時間ないので諦めた\(^o^)/ そんな感じで姫戈完成。今動画で採用されてるのを見て、酔っ払てるのでニヤニヤ。 うp主ありがとう。 結論を言うと、好きなように"楽しみながら"作ればいいと思う。 +とある投稿者の武将作成記 とある投稿者の武将作成記、張架の場合 あの日、私は別に酔ってないしお酒飲んでないけど、武将を投稿する事に決めたらしい。 “もし、三国志の時代に歴史には出てないけれど、実はこんな武将が居れば?”というコンセプトらしいので、 じゃあその時代に"無かったもの"でいいじゃん!とか変な解釈して"三國志でまず出てこないもの"が基礎になりました。 丁度その頃、「うはww私掠タノシスwww」な事(game)をしててヒントを得たわけです。 はい、お察しのとおり"私掠船"です。大航海時代に実際にあった歴史を、改変して三國志に持ち出したわけです。 当時の技術なども考えて海賊はありえないので山賊っぽいものに変更。(そのため張架は水軍Cになってますね) このような時代背景を調整してキャラクターが立つ足場を作り上げたわけであります。 それ以外って実は(正しい意味で)適当だったりします。 私は元々弩兵戦術(東方多いんで…)を主としてプレイしていたので愛着のある弩の適正をSに。 名前は張遼が好きだから「張」を取り、遠くの物に届かせるという意味で、橋を架ける⇒「架」に。ね、簡単でしょ? 字の子苓も「子苓」⇒「しれい」⇒「司隷」となってます。そして張架の登用された場所は…となるのかな。 その後は上記で自分で作り上げた設定から妄想を始めて、イメージで能力を決めちゃうだけです。 私掠賊…武力は高いよね。船長カッコヨス…じゃあ党首に。脳筋に私掠党首は無理…じゃあいぢらず50のままで。 名前からして女…女頭領!姐御さん!←キャラが決まる。そこから話し方と性格を設定。ほら楽々。 特技は「困難でも的に当てる」ということで、森林で弓などまず当たらないという幻想をぶち壊す「射手」。 しかし戦法面では弓将みたいに必中にならないので、失敗続きでヘタレっぽく見える⇒いぢられてオイシイ。 ……でも姐さん怒ると怖いから、いぢりすぎないでね!(ゲフン こんな感じで、キャラクター「張架」が完成しました。 手間かけてるのか、いい加減なのか分からない。でもそのぐらいが丁度いいと思う。 何事にも順序や基礎が大事なんだねっていうのを実感させられた。 闇雲に妄想してキャラ作るのも楽しいけど、カオスになったりつまずいたら試してみてね! +とある投稿者の武将作成記 とある投稿者の武将作成記、翔季玉の場合 あの日、私は別に酔って無い(というか、お酒は飲めない)けど、武将投稿する事を決めた。 実は第四次武将募集時にも能吏持ちの武将を投稿したが、キャラの練りこみが足りなかった為か、敢え無く落選。 しかしながら、この動画の舞台にあがる事を諦められなかった私は、これをバネに再び武将を投稿する事に決めたのだ。 さて、コンセプトはどうするかと思いながら第四次採用武将の所を見ていた時、ふと姫戈と馬仁の所を見ている時に 馬仁の特技は連戦→連戦と相性が良い特技は→駆逐や白馬(神将は禁止特技なのでスルー)→白馬=騎射と言えば騎馬民族→ 今涼真軍は、羌族と繋がりがある→彼らと繋がりが有った童卓は騎射が得意だった→彼ら(羌族)に出来たとしても何ら不思議では無い→ よし、羌族の武将にしよう→特技は白馬で→しかし、男だと姫戈ともろにカブるので女性に。 こうして、キャラのコンセプトと性別・顔グラが決まりました。 名前はどうしようか→翔という漢字が好きなのでこれを姓に→確かいにしえ武将に秦良玉ってのがいたな→じゃあ、~玉という名前にしよう。 色々考えた結果、季節の季を入れよう→姓名が決定。 能力は、キャラの設定上(及び特技の面で)騎馬Sは外せない。とはいえ部族の有力者じゃ無いので、統率は据え置きに=50。 後、きりの良い数字の方がどれだけ成長したのかが分かりやすいよね→最終的に統50武80知20政30魅70に決定。 適性は弓関係は得意だけど、他はからっきしというかんじで→槍C戟C弓A騎S兵器C水軍Cに決定。 キャラ設定はとても大事なので、どういうキャラにしようか。 このキャラの場合、特技の関係上弓・特に騎射が得意という設定にしよう。後、羌族は漢民族に余り良いイメージを持っていない。 更に分かりやすい暗い過去があればキャラが立つよね。可哀そうだけど。 そんな感じで、武将紹介に記載されているキャラ設定が完成。 最後に涼真軍に参加するきっかけ・・・というかこの中華に来るきっかけはどうしようか・・・。 そういえばこのキャラ作るきっかけとなった武将の一人、姫戈は羌族の有力な一部族である族長の後継者 →でも涼真軍に加入した事を一族に知らせていない→普通というか間違いなく大騒ぎになる→じゃあ、彼を探しに来たという事にしよう。 参戦理由決定。 こんな感じでキャラクター「翔季玉」が完成。キャラ設定には、様々なきっかけと諦めない気持ちが大切だなと実感した次第。 こんな感じですが、武将作成の際に参考になれば幸いです。 追記 最近「季玉ちゃんマジ羌族」とか「かあいい」等とコメントが付くようになり、それらのコメをニヤニヤしながら見ている今日この頃。 うp主殿、本当に有難う。 +とある投稿者の武将作成記 とある(動画)投稿者の武将作成記 あの日、私は暇だった。そして、なんか勢いで、動画を投稿する事に決めたのだ。 というわけで、私の武将能力値の設定の仕方をお話しようかと思います。 涼真だと普通すぎて説明がしにくいので、張芳を例に設定していこうと思います。 まず、能力値はすべて50として武将の設定を始めていきます。(統50武50知50政50魅50) この能力値50を基準として、その項目に対してどの程度の才能と鍛錬があったかで増減していきます。 ちなみに、能力値50は一般的な訓練を受けた状態で、向き不向きを考慮しない状態で普通の人が辿り着く能力値としています。 で、張芳はお嬢様ですが軍隊を率いる経験は今まで無かったものの兵法をある程度知っているということで41に下げ。 武力に関しては一切鍛錬を行っておらず、また体格が良いわけでもなく、更に女性なので下げに下げて7。(今思うと下げすぎたと思っています) 知力は良家のお嬢様なので、よい教育を受ける機会があったと考えられ更に本人の才能も相当なものがあるとして83に。 政治は知力に引きずられる形で、本人の才能と合わせて74に上昇。 魅力は本当に各人の好きに設定して良いと思われます、ここでは「傾国」を持つことに説得力を出すために80としましたが 今思えば、89ぐらいにしてもよかったなぁと思っています。君主でなければ徴兵以外ではほとんど死んでいる能力値ですし。 そうして、最終的に能力値が決定し(統41武7知83政74魅80)となりました。 このように基準値50から上下させる方法を選んだ理由は、平均的な一般武将に比べて何に優れ、何に劣っているのかを明確化するためです。 私の基準では、能力値70は一生懸命努力して届く能力値であると考えています。 能力値80は、それに付け加えて持って生まれた才能とあるいは長い鍛錬があったと考えて、能力値90より上は天才と呼ばれる人間の住むところであると考えています。 投稿武将に最初から高い能力値を設定出来ないようにした理由は、多くの投稿武将は何の功績も残していないからという所が大きいです。 ゲーム内では張飛の武力は98とされていますが、これは後世の人間が彼の生涯の活躍を元につけた能力値ですよね。 分かりやすく言えば、黄巾の乱に参戦した時点で既に彼の武力が98であったかどうか、ですね。 勿論、高い武力であることには間違いないですが、彼のこの頃の能力値は80の後半か91程度がせいぜいじゃあないかなと思うのです。 ゲーム内の武将が彼らの打ち立てた功績に応じた能力値を割り振られているのに対して(劉備はもっと強くて良いと思うけど)投稿武将にはそれらの功績がありません。 さて、私が採用している武将は能力値に高いものがある武将ほど年齢が高い傾向にあるのはお気づきでしょうか? 勿論、楽豊や孟威のように若くても統率と武力が高い武将は少なからず居ますが、彼らには同じだけのデメリットが存在してるはずです。(つまり脳筋) 素の状態での武力TOPは王礼、知力TOPは貢師、政治TOPは呂白と爺が三人揃い踏みしていますね。 能力値90にしたかったら爺にしろと言いたい訳ではありませんが、彼らは三人ともその分野において生涯の大半を使い、それを磨いてきた武将達です。 故に、高い能力値を有していても、その資格ありとして採用をしたというわけですね。 まあ私のように堅苦しいことを考えながら能力値を設定していただくのも結構ですし、すこしずるい言い方になりますが。 ~とセットで動かすことを前提とした武将なんていう効率重視の武将も嫌いではありませんよ。(笑) 馬仁を前線で使いたくても少し持て余していたときに、翔季玉を加入させたお陰で馬仁が大化けしたのは記憶に新しいですし。 もっとも古いものでは、高泉が最前線で戦えるのは貢師が加入してからという例もございます。 うちの筆頭将軍の丁賓は、彼一人で十分戦えます。 彼はとても重宝しましたし、これからも内政に戦闘に活躍してくれるでしょう。 ただ、付け足すものがないというのも部隊をあれこれ考えるときに寂しい部分がありますよね。(笑) さあ、なんだかごちゃごちゃしちゃったのですが、この辺で終わりにしたいと思います。 毎回、様々な方達から武将の投稿をして頂けるようになりとても嬉しく思っております。 大百科にも、こんなに立派な記事を書いてくれる視聴者様方には、ただただ頭を下げてお礼を言うばかりでございます。 拙い作品ではございますが、これからも当動画の応援をよろしくお願い致します。 +とある投稿者の武将作成記 とある投稿者の武将作成記、呂白の場合 ある日、私は酔っていたか酔っていなかったかは全く覚えてないが、とにかくヒマだったのだ。 そして何となく『俺とお前らと三国志11』を見ようと思ったのだ。 『ニコニコ歴戦ゲー』界隈に新しい刺激を求めていた自分にとって、この動画はかなり斬新であった。 part0から最新話まで一気に見たが、その最新話がちょうど第二次武将募集だったのである。 おぉ、これはなんという偶然!こいつぁ早速武将を投稿しようじゃないかと思い立ったのである。 折しもこのとき、動画内では劉備、鍾会、何進の3勢力から攻められており、武官フラグが立ちまくっていた。 そこで私は思った。「どうせほかの投稿主たちは武官を投稿するだろう・・・ならば自分は文官だ!内政にしか使えない武将を投稿してやろう!!」 このとき私は確信していたのだ。第一次募集で採用されている3名は全て武官。 ここで武官を投稿しても、自分の投稿武将など彼らの強すぎる個性に容易く飲み込まれてしまうだろう・・・と。 それに戦後はどうあっても文官が必要になる。この場をうまく凌いでも、都市を落とすわけではないから今のうちに優秀な文官を投稿しておけば必ず長期にわたって役立つハズ! (この考えがこの後のうp主の嘆きにつながるとは全く予想していなかった・・・) ちなみに投稿武将のキャラ設定はこの時決めた。 優秀な文官なんだからこの土地の豪族で名士にしよう→名士ならやっぱ爺さんだろう! 漢中を落としたんだから五斗米道と何かしら関係があることにしよう。でも信者にするのは嫌だ。 よし、それなら入信を嫌がって隠匿したことにしよう。んで、私塾を開いていることにしよう→やっぱ爺さんにするしかないだろう!! それから人格者にしよう→爺さん以外の何にしろと!!! そんな感じでキャラ付け決定。 名前は三国志でもおなじみで、かつほかの投稿武将と被っていない『呂』を姓とし、字に『雲』をつけることを前提として名は関連付けで『白』、 立派な字にするため『徳』の文字をいれて字は『徳雲』。 まぁ、思い切った文字を扱えなかったので、三国武将の名前で使われてる文字からそれっぽくなるように組み合わせたわけですね。 『内政』に特化するのだから特技も選べるものは限られる。何気に長期で役立つものとして『富豪』と『発明(だったと思う)』を選択。 あと、うp主がどうしても戦で使用したいという場合に備えて第三希望は3つ目一応『指導』とした。 能力値は特技に合わせて設定。『富豪』を取得するために政治は85以上必要なので政治力から決めた。 あからさまに能力値が高いのは敬遠されると思い、無難に86に設定。 『内政特化』なので統率と武力は低くていい。かといって極端な能力値にはしたくなかったし、呂白はいわゆる『知略家』ではないが、そこそこ賢そうにするために知力は70台前半にすることに。 結果、統率28、武力25、知力72とした。魅力は高すぎると面白くないので、高くもなく低くもない70。 投稿当初は優秀な官僚というイメージで送った。イメージとしては糜竺や孫乾といった武将の立ち位置を想定していた・・・ それがなぜか今では涼真軍の筆頭文官にww いや~、何がどうなるか分からないものです。 自分は呂白に加えて後日、第四次武将募集で張清も採用していただきましたが、まだまだ武将を投稿していきます。 すでに2人も採用されていますが、それでもうp主が使いたくなるような武将を作ってやろうと毎回躍起になっています(笑) これから武将を投稿しようと考えておられる方も、すでに採用されているがまだまだ投稿しようと考えておられる方も、お互いに魅力的な武将をどんどん投稿していきましょう! +とある投稿者の武将作成記 とある投稿者の武将作成記、秦登の場合 あの日、私は別に酔ってはいないけど、新たな武将を作成・投稿する事を決めた。 前回は女性の武官だったので、今回は男性の文官にしよう。→大まかな方針が決定。 その様な事を思いながら、ネタ探しも兼ねてメディアファクトリー刊「うまなみ三国志」を読んでいた。 そして、紙の精製法の確立に大きく貢献した蔡倫という宦官がいた事、馬についてのトリビアの所を見ている時に、唐突に 「今でいう所の、馬の調教師みたいな事に打ち込む宦官とかいたら面白いんじゃないか」 という毒電波を受信s・・・じゃなかった、設定を思い付いたのだ。 こうして、キャラの大まかな設定と特技、顔グラ(宦官なので、髭の無い文官グラ)が決定。 さて、名前はどうしようか。 色々考えた結果、被りにくい「秦」を姓に、名は「鄧」にしよう。それと、前回は作らなかった字も付けよう。 字の付け方のルールを守りつつ考えた結果、最終的に「叔苞」にしよう。 キャラクターの姓名及び字が決定。余談ながら、私が武将を作成する際テンプレをツールのメモ帳に移して作成しているのだが、 まさか、「鄧」の字が入らないとは思わなかったorz。 能力値はどうしようか。 一応史実武将に、某憂鬱なネコミミ軍師や、本当は宦官じゃないのに演義では宦官にされてしまった呉の土建屋がいるが、 どちらもコーエー逆補正が掛かっている事も有り、全く参考にならないので、キャラの背景設定に無理の無い数値にする事に。 有る程度馬を纏める事が出来て、なおかつ騎乗時に振り落とされない程度の能力は必要。 最終的に統率30・武力20に決定(たぶん最低限これぐらいは必要と思う)。 馬の研究をしているから知力は高めに、また研究を続けていく以上政治力もそれなりに必要。人柄の関係上魅力もやや高めに。 最終的に統30武20知80政60魅71に決定。 キャラの生い立ちをどうするか・・・ 聞く所によると、宦官は職にあぶれた人にとって一発逆転を狙う職でも有ったと、どこかで見た記憶が有る。 なら、実家は貧しい農村で多くの兄弟の一人という事にしよう。後、子孫を残す事が出来ないので ム○ゴロウさんみたく、馬を我が子同然に可愛がっているという事にしよう。 こうして、キャラ設定が完成。 とまぁ、こんな感じで秦登が完成。このようにオリジナル武将を考え、作る機会を与えてくれたうp主殿に 心から感謝します。 さて、チラシの裏という事なので、うp主殿に送った馬の設定もここに合わせて(興味ねーよという人は、回れ右を(汗)) 「桜蘭」 大宛馬の血筋を引いている雄馬。産まれたばかりの時は極度の虚弱体質だったが、同じ時期に産まれた他の馬よりも眼力が 鋭く、「きっとこの馬は、鍛え上げれば素晴らしい馬に育つ」と感じた秦鄧が直々に育成を行う。粘り強く育て上げた結果か 元々の素質か、地元では有名な名馬として育った。因みに、過去に秦鄧と共に盗賊の襲撃に逢い、矢を多数浴びながらも 追撃を見事に振り切って見せた。その事から「傷だらけの殊桜(しゅおう)」と呼ばれている。 ちなみに、過去に何進や董卓等といった君主達が、是非に譲って欲しいと頼みに来た事があるが、馬を道具としてしか 見ていないのを見抜き、断固として引き渡さなかった。 長々と有難うございました。今後もお互いに魅力的な武将を投稿して、本動画を盛り上げていきましょう。 +とある投稿者の武将作成記 とある投稿者の武将作成記、文忠の場合 あの日、私は酔っ払ってはいなかった。むしろ現実の課題に追われ逃避行動を起こしていた。 そんな時、ふと歴史ゲー動画のコトを思い出し検索をしていた。 大好きだった動画は相変わらずうp主失踪シリーズタグがついていて更新されてなく 現在更新されているモノは正直目新しいモノはなく、見たいと思わなかった。 しかしそんな中、投稿されたオリジナル武将だけでプレイするという斬新な動画を発見。 私は胸をおどらせた。課題そっちのけで1話から一気に見てしまった。 残念なコトにその時はもう募集を締め切っていたが、 次は絶対に投稿しようと思い、それまでにいくつかストックしておこうと武将の設定を考え始めた。 まず、自分は若い世代がカッコイイ大人たちの社会でもまれて 成長する姿が好きなので、世代は若手。 次に、成長させるならどのパターンがいいだろう? 弱々しいのが勇気を出す。本来の力を出せないけど~、天狗が会心する。等 色々考えた結果、涼真軍にはあまり見ない判りやすい天狗を作ろうと思いました。 さて生い立ちや性格はどうしよう? 天狗になってるというからには相当な自信家。 自信を身につける為の環境が必要。 →名家で育てられた。周囲に適う者はいなかった わかりやすく天狗になってると視聴者様に思ってもらう為に他のキャラを馬鹿にしよう →学のない者を馬鹿にする 能力はどうしよう? こういうタイプの若手は思いつくのは沈覇、韓封がいる。 →この二人は武官だから文官にしよう。 そして若手ゆえ、あまり強すぎてもダメだし、天狗になるだけの才能はもっている能力値を考えなければ。 性格的に反計は絶対につけたい。 と、そんなコトを考えて史実武将と見比べながら決めますた。 名前、ここが一番適当。 パッと思いついた漢字を当てはめただけです。本当に意味とかありませんw こうして出来上がった武将が文忠でした。 こういう毒のあるキャラをうp主様が採用してくれるかは不安でしたが 動画内でこういうキャラを待っていたと言ってくれたので、安心いたしましたw こういう風に武将を考えるのって楽しいですし、 それで考えた武将がうp主様の動画内で活躍してるのを見てるだけでも2828が止まらないですよね。 さて、新参者が長々と申し訳ない。自分の作り方が参考になれば幸いです。 最後に、こういう機会を生み出してくれたうp主様と、この動画を盛り上げている視聴者様に感謝! +とある投稿者の武将作成記 とある投稿者の武将作成記、貢師の場合 あの日、特に変わることなく仕事を終え寝る前のネット巡回をしているときに、この動画に出会った。 視聴者参加型という動画投稿時に知っていないと参加できないという貴重なチャンスに出会い、これは参加せねばと即断。 すでに第1回の募集は締め切られ、part1前編しか投稿されておらず次の募集はいつになるかも分からない時であったが、募集まで待ちきれずに即キャラを作成して投稿したのが貢師である。 なので、2次募集時の阿鼻叫喚な状況に関しては全くその時予期してはいなかった! さてキャラ作成なのだが、初期武将全員を見渡しても奥方以外は脳筋よりの武官ばかり。となると必要となるのはやはり知恵者だろう!ということでタイプはあっさり決まった。ここら辺はまだ武将が全くいない状況なのでタイプは選び放題だったので、現状とはあまり比較することはできませんね。 武将タイプが決まったら後は連想ゲームのように設定が浮かんできました。 頭いい=先生=私塾=特技指導=じじい=口やかましい なんということでしょう!何も無かったところからキャラが出来てしまいました。まさに匠の技(Na.加○みどり) さぁ残るは能力値。この時自分的に魅力を含まず240の割り振りだと平均しても4項目60の数値はちと高いと思い、魅力も含めて5項目を240で割り振りという制限をさらに設けた。 やはり一番は知力に高い数字を割り振り、先生という職業柄、生徒を統率し惹きつける力も無ければならないということで、統率・魅力を平均値以上に設定。さらにじじいだし武力は低くてもいいということで低く、でも政治もある程度欲しいよなとか考えると、魅力を含めての240制限はキツイキツイ。これらのことが合わさって、武力1という極端な数値となったのでした。 ネーミングに関しては、コメント欄でも色々と推測されてますので、ここでは伏せてみなさんの想像にお任せします。 かなりあっさり風にできた貢師ですが、up主の手腕によって魅力的なキャラとなったのは望外の喜び。感謝しております。上で書かれてるように細かい設定まで詰めてなくともキャラは出来るという例として書かせていただきました。 細かい背景は無くとも、キラリと光る一芸を強調するような武将でも十分採用される可能性はあると思うので、ドンドン投稿してはいかがでしょうか。 とりあえず自分は他に孫信も採用されてますので、武将投稿は長安防衛時のような緊急追加募集などが無い限り投稿は控えようと思っています。その代わり動画内コメで盛り上げていくつもりです! やはり同じ人が投稿した武将が数多く居るよりも、数多くの投稿者の武将が一杯居るほうがタイトルの「お前ら」が反映されて面白いし、こういう参加できるチャンスを数多くの人に手にしてもらいたいと思っていますので。 落選された方もまだ投稿を躊躇ってる方も、こんなチャンスは滅多に無いと思うのでドンドン応募して動画を盛り上げていきましょう! +とある投稿者の武将作成記 とある投稿者の武将作成記、白華の場合 あの日、私は動画の作成を完了し、upし終えた達成感に酔っていた。 休憩がてらニコニコ動画の歴戦ゲータグ巡りをしていると、不思議なタイトルに出くわしました。 それがこの動画との最初の出会いでありました。 実の所、初回の動画を見た時から投稿しようと思っていた訳ではありませんでした。 しかし元来読者参加ゲームやTRPGが好きな私にとって、 皆が登録したキャラクターが元気に動画内で頑張っている姿を見て感化されないはずがない(笑) かくて、私は投稿することに決めたのでした。 第一回で武官が、第二回で文官が集まったものの、今だ武将数が少ない状態。 つまり、何を送ってもキャラクター次第で採用される可能性が今以上に高いという恵まれた時期だったのです。 私はどのようなゲームでもキャラを作る時、先ずは職業及びキャラクターの性格を決めていきます。 無論数値から決めなければならないときはその限りではありませんが。 さて、白華はどのようにして作られたかと言うと・・・ 何を隠そう、実は私はネタ系のキャラが好きだ・・・いや、作った動画を見れば丸わかりな気もしますが。 丁度この時期・・・というより今もですが『高飛車なお嬢様』タイプがお気に入りでした。 ただ、金持ちの家的な「良家のお嬢様」は誰かが送ってくるような気がしたので(事実「星明」さんが送られてきた) 武官の娘ということに決めました。いわゆる「戦うお嬢様」ですね。 ですが、○将では芸が無い。きっと他に真面目に送ってくる方で○将を付ける方もいるでしょう。 なら白華は何か他に珍しい一芸に秀でるような能力をつけよう・・・ そう思った時に「攻城兵特化の将なら珍しいのではないか」という考えに至りました。 その当時、涼真軍は防戦一方であり今すぐには使えない、しかしいぶし銀の能力。 既に一人兵器Sクラスの将である「荀静」さんが居ましたので、 その人を超える能力・・・ではなく、引き立てる能力である「射程」を選択しました。 能力は殆ど直感で決めた印象が強いです。 武官の父と修行しているとはいえ、やはり女性、それもお嬢様なので武力は控えめの60。 頭はそこそこ良いけど文官を喰わない程度になるよう70切って69に。 箱入り娘なので政は絶望的、ということで思い切って30を切らせて・・・ けど、全部が70以下だと仕事を干される可能性大だから統率くらいは得意とさせてもらって・・・と、いった感じに決めて行きました。 兵科適正は兵器はS確定、後は兵器でなくても戦に出せるようAとBを1つずつ付けました。 TRPGにおいてキャラを考えるとき、自分が活躍するように能力を決めるのは勿論必要ですが、 他人と絡む能力、若しくは性格や設定にするとコミュニケーションが成り立ち話が潤滑になる傾向があります。 この動画でもそういうキャラクターはきっと採用され易いと思います。 後は・・・あえて自分のロマンを突き進むキャラクターとかも強いかもしれません(笑) ただし、あくまで独りよがりな設定にならないことが重要です。 例えば無敵に近い能力の持ち主ですとか、一匹狼を気取っているニヒルなキャラクター等は、 イメージ的には格好良くても物語的には絡み難く、採用はされ難いでしょう。 まぁ、私のようにロマンを求める余りネタに走り過ぎるのは採用され難いとは思います。 (現にこの後2回ほど応募していますが採用されていません(笑)) しかし「物語をより楽しくしたい」・・・そう思ってキャラを作っていくのなら、いつかは採用されるのではないかと思います。 何かこんなことを書いてたらまた投稿したくなっちゃいましたね。久しぶりにひとつ送ってみようかな。 最後に一言。生み出したキャラクターを愛でるのは勿論のこと、他人への思いやりが大切ですよ。
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←Ver1.2.0A Ver1.2.0C→ Ver1.2.0B情報 Ver1.2.0B情報 2018/4/18稼働開始 公式サイト告知 http //www.sangokushi-taisen.com/news/20180416.html 桃園の誓いの不具合修正 総合戦績表示の不具合修正 三国志大戦.NETの統計情報に武将肖像表示を追加
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264年 (景元五年→咸煕元年(魏) 元興元年(呉)) 皇帝 曹奐(魏) 孫休(呉) 三公 司徒: 司空: 太尉: 九卿 主な事件 正月十五日、魏の鍾会は成都に入った《三国志鍾会伝》 誕生者 死没者 鍾会(魏の相国鍾ヨウの子・戦死・享年40歳) 姜維(蜀の大将軍・戦死)
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198年 建安三年(漢) 皇帝 劉協(漢献帝) 袁術(仲皇帝) 皇后 伏寿(琅邪郡東武県・父の伏完は不其侯、桓帝の娘陽安公主を娶る) 皇太子 (空位) 三公(漢) 太傅:(空席) 太尉:(空席) 司徒:趙温(前衛尉・194~208) 司空:曹操(196~209) その他の要職(漢) 太常: 光禄勳:→ 衛尉:→ 太僕: 廷尉:→ 大鴻臚:→ 宗正:→ 大司農:→ 少府:→ 大司馬:張楊(前安国将軍・196~198)→(死亡)→(空位) 大将軍:袁紹(自称・197~202) 驃騎将軍: 車騎将軍:楊奉 行車騎将軍:曹操 衛将軍:董承 地方官 司隸校尉:曹操(行車騎将軍) 豫州刺史:郭貢? 河南尹:駱業? 徐州牧:劉備? 冀州牧:袁紹(191~202) 兗州牧:曹操? 荊州牧:劉表(192~208) 主な事件 三年春正月、曹操は許に帰還する。初めて軍師祭酒を置く。《三国志魏書武帝紀操》 三月、曹操は張繡を穰に囲む。《三国志魏書武帝紀操》 建安三年夏四月、謁者の裴茂は中郎将の段[火畏]を率いて、李傕を討ち、三族皆殺す。《後漢書孝献帝紀》李傕の首は許に送られ、詔が有って高く懸けられた。《後漢書孝献帝紀に引く献帝起居注》 呂布叛く。《後漢書孝献帝紀》 冬十一月、大司馬の張楊を盗み殺す。《後漢書孝献帝紀》 十二月癸酉、曹操は呂布を徐州に於いて撃ち、之を斬る。《後漢書孝献帝紀》 三年、長沙太守の張羨が零陵、桂陽の三郡を率いて劉表に離反する。劉表は兵を遣わして攻め圍み、破り平定する。《後漢書袁紹劉表列傳》張羨は南陽人。先作零陵、桂陽守,甚得江湘閒心.然性屈彊不順,表薄其為人,不甚禮也.羨因是懷恨,遂畔表《後漢書袁紹劉表列傳に引く英雄記》 誕生者 死没者 李確* 張楊:大司馬・盗殺 ▲PAGE TOP 197年<< >>199年